18年分の重み

本日、飼い猫が亡くなりました。
そのため明日の更新はありません。
続きには自語りというか、感じたこととかを書いとこうと思います。記録というか、その時の感情を残しておくというのは、今しかできないので。風化してしまうのもなんだか悲しくて、この悲しみが癒えたとしても、今の気持ちはどこかに残しておきたいのです。

 

18年前、元々保護猫で、母が猫が欲しいけどピンとくる子がいない、とたまたまペットショップを歩いてた時に貼られていたチラシを見て「この子だ!」と速攻電話してとんとん拍子で貰った猫です。
母は「私が産んだわけじゃないけど私の息子」、兄弟は「血は繋がってないけど俺の弟」とめちゃくちゃに可愛がられた猫です。猫が来た当初、あまりにも猫可愛がりしすぎて私の成績が一気に下がり、保護者面談時に理由としてあげられてしまった猫です。私が大学生時代に実家に帰ってくると、夜にわざわざ来て人の布団の上に乗っかって私の体をバキバキにした猫です。卵焼きの中のカニカマを人が見ていない隙にこっそり盗み食いしたり、人の膝掛けを全部自分のものだと思って乗っかったり、空いてる本棚の中で秘密基地ごっこしてた猫です。そんな猫が18年我が家におりました。

この2年近く、人間でいう要介護5に近い状態で、頭ははっきりしてるし食欲あるけど体が動かず、おむつをはかせたり薬を朝昼晩と飲ませていました。先生には「冬が越せると思わなかった」と言わせ、今年の頭には具合悪く、私が面倒を見たところ、寝不足で口内炎3箇所だか4箇所作りました。でも乗り越えてしまった猫。正直私はこんな急にいなくなることになるとは思ってませんでした。だって昨日の夜まで元気にご飯おかわりして、お水もがぶ飲みして、排泄も上手くいってたし顔も元気だったんですから。

でもよかったなと思ってもいます。正直こんな風に急に具合が悪くなるのなら、私がどこかに出かけてる間に死んでいる可能性だってありました。私が寝てる間に静かに息を引き取る可能性だってありました。でも少なくとも、私が見ていて、病院にも連絡して無理言って診てもらって、背中をさすりながら声をかけて、看取ることはできました。出来ることがないながらも、出来ることを全部し尽くした上で看取りました。これでよかったと思うのは、前の猫の件があるからです。
実はこの猫と一緒に貰った兄妹の猫がいました。私にとっては可愛い妹でした。その子は私が社会人一年目の時に亡くなりましたが、最後を看取るどころか、遠方に住んでたため、看病すらできませんでした。それをすごく後悔していて、実家に帰ってきた時に「この子の最後は看取れなかったどころか看病もできなかった。だから残ったもう1匹の弟であるこの猫は私がちゃんと最後まで面倒見て看取る」と思ったのです。
看取れなかった時、本当に後悔しました。「あんなに懐いてくれたのに、私は何にもできなかったな」って。何かしてあげられたんじゃないかなって。できなかった後悔というのは残ると言いますが、「ああ、これがそうか」と思いました。今はどうかと言いますと、正直悲しいし寂しいし、もっと生きていてほしかった、とは思っています。ただ、「何もできなかったな」という気持ちはありません。
たしかに最後はどうにもできませんでしたが、やれることは全部やりました。病院の先生からも「よく面倒見たよ。あなた達じゃなければ、きっともっと早くに亡くなってる。幸せ者の猫だったよ」と報告した時に言われました。自己満足といえばそうですが、それでもあの時みたいな後悔をしなくてよかったと思います。

ダンボールにペットシーツとタオルを敷いて、嫌いだった服とオムツは脱がして、体を拭いて綺麗にブラッシングして、いつも使ってたお布団をかけてお花を添えました。なんだかよく寝てる時の姿に似ています。起きて「ご飯」と言いそうな気がするくらい。最初は撫でてると温もりが残っていました。柔らかくて、生前撫でてた時の感触がしました。でも時間が経つごとに硬く、冷たくなっていって、「また起きてくれるんじゃないか」という希望的な観測を薄めてくれます。撫でた時、頭すら硬くなって、生きてる時と感触が違うことがわかります。今は撫でるだけで涙が出てしょうがありませんが、明日にはもう埋める予定なので、涙が出ても撫でていようと思います。
18年間、ありがとうね。